座談会 『スローな働き方と出会う』
田中夏子さん(都留文科大学教員)とアスランの杉村の共著『スローな働き方と出会う』(岩波書店刊)が、2004年3月に出版されました。出版を記念して、ILO駐日代表の堀内光子さんと著者による座談会が行われました。『協同の発見』(協同総研刊)より、その一部を転載します。

◆「スローな働き方」という言葉に込めたもの

――まず田中さんから、この本の中で、「スローな働き方」=「スローワーク」という言葉に込めたものを少しご紹介いただければ。

田中 「スロー」という言葉が、今いろんなところで使われるようになっています。スローフードにはじまって、スローライフ、スロータウン、スロービジネス、スローラブ、そしてスローワーク……。これだけあらゆるものに「スロー」が用いられるのは、それだけ「スロー」という発想に魅力があるからだと思いますが、そこには二つの方向性があると思います。

 ひとつは、言うまでもなく、スピードや効率重視の社会のあり方を疑問視し、人間が大事にされる暮らし方、働き方を構築していこうという発想。そしてもうひとつは、一見「スロー」という価値に寄り添うかに見えて、実は「スロー」を販売戦略の対象にしようとする、「スロー」市場化の方向性です。たとえば、チェーン展開するファミリーレストランですら「スローフード」を掲げるようになっていますし、三井物産戦略研究所が中心となって設立した「スロータウン連盟」では「スピードとスローの共存」を唱っており、もともとの「スロー」論が持っていたラディカルな発想が骨抜きにされています。こんなふうに複数のベクトルを含んで混乱する「スロー」への期待を整理する必要があると考えました。

 今の世の中を規定している「経営の短期主義」、つまり「より速くできるだけ多くの利益を」ということに価値を置く市場の原理、それが私たちをどういうところに追い込んでいっているかを見ていきますと、働く現場のみならず、暮らしの場にも相当深刻な影響が及んでいます。そうした現状に対して、「 スローな働き方」 が、浮世離れしたユートピア的な働き方として世の中の隙間に存在するという形ではなく、社会を規定する市場主義のあり方に変更をせまっていくものとなるには、どうしたらいいか、それを考えることが本書の目的でした。むろんその根底には、私自身の働き方、生き方、あるいは研究方法についての悩み、疑問も大きく存在しました。

 そこで「スローな働き方」をキーワードに、農村部の女性たちを中心とした仕事起こしや、社会参加に困難を抱える人々が切り開く新しい働き方、また労働者の手によって再建された職場や職人さんたちの新しい挑戦、文化と産業を結びつけようとするまちづくり運動等を訪ね歩き、働く現場から捉えた「スロー」の可能性と課題(困難)を描こうと試みました

 杉村さんはそれをまさにそうした新しい働き方の開拓をご自身で担ってきた立場から、そして私はそれらを取材したり、調査研究してきた立場から、二人で意見交換をしながら書き進めてきました。

杉村 私が担当したのは「第3章 企業倒産からの再出発」で、倒産した企業の労働者が立ち上げた労働者事業体を取り上げた章です。文字どおりの「 ゆっくり」 という意味の「スローワーク」とはほど遠い現場の話なので、はたしてこの本にフィットするのかなというのが最初から最後まで疑問点としてありました。ただ、最初に田中さんと、この本では「 スローワーク」 という言葉にどういう内容を持たせるのかについて検討したときに、単なる速度を意味するのではなく、スローフード論で唱われている原理を援用して、「質が高く、吟味されていること」「人々の暮らしを破壊しない働き方であること」「社会にむけて発信力のあること」などを含めようということになりました。またその討論のなかで、直線的な成長でなく「行きつ戻りつできること」が田中さんから出され、それならば、倒産から立ち上げた事業体での働き方も、「 スローワーク」 といえるのではないかということになったのです。

 実際、一般の企業では、戻るどころか立ち止まることも許されないで、どんどんせかされていく、目先の作業に追われて考える暇もないという状況があります。一般の企業だけでなく、実は、ワーカーズコープであるアスランも同じような悩みを抱えていたので、他の労働者事業体を運営されている方に、そのへんのことを聞いてみたいというのがありました。そのなかで「 対話」 という言葉が、キーワードとして出てきました。

◆ディーセントワーク実現のコアになるのはエンパワーメント

―――ILOでは、「ディーセントワーク」を提唱されていますが、その一要件でもある「対話」も含めて、この本での「スローワーク」の概念と重なるものがずいぶんあるのではないかと思います。ディーセントワークのほうが大きな概念だと思いますけれども。堀内さんには、この本の感想も含めまして、そのへんのことを少しお話しいただけますか。

堀内 本自体は、楽しく読ませていただきました。現場の実態がわかる、働く人の気持ちがわかるような本だったので、とても感銘を受けました。

田中・杉村 ありがとうございます。

堀内 日本でディーセントワークというとき、企業社会が前提で、仕事がディーセントワークになっているかどうか、というように語られます。たとえば、今、杉村さんがおっしゃったように、企業の中で主体的に動けない人間がいる、と。そこで、主体的に動けるように組織・システムを整備するとか、もう少しその状況を改善するために組織の中で対話をするとか、日本ではディーセントワークを実現するということを枠組みづくりをすると受け止めている人が結構いるようです。

 しかし、ILOがディーセントワークというとき、人々の「エンパワーメント」にも大きな比重が置かれています。私は、仕事とエンパワーメント、そしてディーセントワークをどのように結びつけていけるのか、企業の中でどんなふうに人々がエンパワーメントすることができるのだろうかといつも考えていたのですが、この本は、まさにエンパワーメントのこと、人々の力というものが描かれていて、そこにすごく感銘を受けました。この本は、仕事を通してのエンパワーメントが可能なのだということを教えてくれました。

 特に杉村さんがお書きになったリストラされた人たちの話は、もちろん不当な解雇を受けて、働く者の権利を守るために闘ったという側面もありますけれども、もう一面では、その職場の人たちが自らエンパワーメントをして、自ら立ち上がって仕事をつくっていく――それは、私たちが今まであまり注目してこなかった部分ですが――その様子が描かれています。厳しい状況にあっても、今まで培った経験だとか仲間どうしの信頼をベースにしながら、仕事をつくってきた人々がいるということ、そしてそれは、誰にでもできるのだと気づかせてくれました。

 ただ、なぜ「スロー」なんだろうと、個人的には思います。「スロー」というより「普通」といったほうが、いいのでは? 「ディーセントワーク」も、日本語に訳すのは難しいのですが、「普通にやろうじゃないか」ということなんですよ。何が普通なのかという議論はありますが。この本は、人々の仕事を通じてのエンパワーメント、あるいは仕事をつくるというエンパワーメントの本として読めるのではないかというのが、私の感想です。

杉村 私自身、アスランを立ち上げる過程でそういう力を感じ続けてきたので、それを伝えられたのは、とてもうれしいです。

堀内 この本全体が、人々が、持てる力を自ら伸ばせるという可能性を描いた物語になっていますね。

 女性たちによるワーカーズコレクティブとか、労働者協同組合ができたのは、80年代初頭ですよね。ちょうど私は82年ごろから海外勤務が多くなって、日本にいなかったのですが、その間にこういう動きが大きくなったのですね。ずいぶん、日本の文化というか、考え方とか、価値観とか、行動が変わってきたように思いますが、このスローな働き方というのも、そのひとつの表れなのではないでしょうか。

杉村 この10年くらい、職場・仕事をめぐる状況自体は厳しくなっていて、働く者にとっては受難の時代だと思います。だけど、そうした状況にもかかわらず、あるいは、そうした状況だからこそかもしれませんが、厳しい寒さの冬に、硬いつぼみのなかで花が開く準備をするように、矛盾のなかで、それを超えようとする力、息吹は生まれてくるのかな、という感じはあります。

堀内 そうかもしれませんね。

◆「市場の論理」を規制する「暮らしの論理」

堀内 ディーセントワークの話に戻りますが、なぜ、ILOがディーセントワークの実現を、声を大にして言っているかというと、やはりグローバル化の問題と無縁ではないのです。言葉の意味どおりの「グローバル化」は、別に悪いことではないのですが、現在のグローバル化は、まさに市場の力だけで動いていて、そのためにさまざまな問題が出てきています。なんといっても、今のグローバル経済のルールは、公正とはいえません。きちんと公正なルールをつくるべきだという考え方が、ディーセントワークの底にはあるのです。だから、市場の力――労働市場における需要と供給の関係で労働条件が決まるという状態――だけに委ねないで、それ以外の何ものか、社会正義とか、公平公正とか、すなわち社会政策などを講じるなどして、市場一辺倒に歯止めをかける必要があります。このまま放っておくと、底なしの競争になるのではないか。それを止めようということでディーセントワークが出てきたのです。

 もうひとつ、グローバル化が進めば進むほど、人々のアイデンティティーを求める気持ちは強くなるし、地域に戻る力というのも大きくなるのではないかと思うのです。安らぎとか、ゆとりは、やっぱり地域の中にあると、再認識されてくるのではないでしょうか。

 昨日も、ある大学で倫理学の先生方と話をしたのですが、今、労働の場である企業と、生活の基盤である家庭、それを取り巻く地域、その三つがばらばらになっていて、それをどのようにして統一していくかが大きな問題になっています。それは、こういうスローな働き方によって、実現できるのでしょう。これがグローバル化に対するひとつの回答、というと言い過ぎかもしれませんが、広い意味では我々の提唱しているディーセントワークと重なっていると思います。

◆家族、仕事、地域をつなぐ働き方を求めて

田中 ディーセントワークの魅力というのは、いくつかあると思うのですが、私がこの言葉に魅力を感じるのは、「節度ある働き方」といいますか、きちんとブレーキがかけられる、という意味合いを含んでいるところです。それは、他人のためのブレーキであり、自分のためのブレーキでもあり、さらには、途上国の経済的な自立を願って今自分たちがどういう経済の仕組みをつくっていかなければいけないかというところまで考えながら、仕事をしていくことだと思うんですね。

 「スローワーク」という言葉に込めた、人を踏みつけにしないという感覚と、ディーセントワークというのはこの点で共鳴しあうのではないかと思っているのですが。

堀内 人間らしい働き方って何だろう、ということですよね。やはり人間は、仕事だけが全人生じゃなくて、家庭もあるし、地域での活動もあるし、自分の趣味や勉強の時間もあるかもしれないし、それらをあわせたものが人間の生活ですよね。これまでは、仕事について考えるとき、たとえば労働法にしても、企業の中での仕事・働き方しか見てこなかったわけです。そういう、人間の生活を仕事と暮らしに切り分けたような捉え方ではなく、もう少し総合化して見なければいけない時代になったのではないかと思います。

 労働法ができた当時は、なにしろ十何時間も奴隷みたいに働かされていたわけですから、労働時間を短くしようというようなことに焦点が当てられたのですが、現代では、なぜ労働法や労働政策、労働運動が企業の中だけしか見ていないのかという疑問が出てきていますね。仕事と家庭の両立という問題も出てきていて、労働法とか労働関係の分野でも、「家庭」については射程距離に入るようになってきましたが。

杉村 田中さんが、先ほど「雇用労働者は、暮らしと仕事を切り分けて生きている」と言われましたが、まさにそのとおりで、私なども、ずっと雇用労働者として企業社会で働く中で、いろんな矛盾を感じてきました。私は四国の出身なのですが、東京に出てきた当初、とにかく通勤時間が長いのに驚きました。職住接近でないために、子どもを抱えていたり、病人や介護の必要な親をかかえている女性は、労働組合運動ができない。それで、労働組合運動は男性社会になっていて、女性や困難を抱えている人たちの声が、労働組合運動に反映されない。すると、ますますそうした人たちが労働組合運動から遠ざかっていくという悪循環になっています。一方、暮らしの中のいろんな矛盾も、現実的には職場のあり方・働き方を変えていかないと――これは、男女ともにですが――解決できない問題が多いと思うのですが、それはそれで仕事とは切り離されたところで語られてきたように思います。これまでは、労働組合運動が仕事と暮らしをつなげるという視点をあまり持っていなかったように思います。

堀内 労働運動というのは集団主義の運動なので、やはりメインストリーム(主流)の人間の問題しか課題に上らなかったのではないかという反省がありますよね、世界的に。メインストリームの人たちが、頑健で、家庭責任を負わなくてもよいような男性であれば、当然のことながら、家庭の問題は出てこないですからね。家庭や地域のことは女性が担う領域であって、女性は第二次的な労働者だから、パートで働くなどの折り合いをつけてやればよい、男性は文句も言わず、2時間でも通勤電車に乗って会社に行き、長時間労働をする、ということでずっときたのです。そういう意味では男性と女性の労働のモデルがものすごく違っていた社会といえるし、職場、地域、家庭がすごく分離した社会だったといえますね。特に都市部はそうですよね。その矛盾に、今、人々が気づき始めているのではないでしょうか。これから高齢化社会になるわけですが、そのなかで、そういうことを考える男性も増えてくると思いますよ。

◆「協同労働」の場における「人間らしい働き方」

田中 この本の中では、企業社会のあり方やグローバリーゼーションに対する対抗的な働き方として始まった協同労働――ワーカーズコープや労働者協同組合など――においても、人間らしい働き方がそのまま自動的に保障されるわけではない、ということについて、問題提起をしています。

堀内 ワーカーズコープアスランのところでも、過重労働を解消するにはみんなで仕事を分けることが大切だけど、言うのは簡単だけれども、なかなかうまくいかないと書かれていますね。

田中 うまくはいかないけれど「このままでいい」とは思っていない、自分たちの働き方に対する危機意識を持っているということなのですが、実際には「協同労働」の事業体といえども、市場と対峙して生き抜かなければならない以上、メインストリームである企業社会での働き方をそのまま再現してしまうという実態があります。ですから、企業社会に対してだけでなく、それに対抗する役割を担っている「協同労働」の世界に対しても、働き方の見直しを問いかけることが必要ではないかと思います。

堀内 どうやったらスローな働き方が成立すると思いますか? 協同労働の現場では?

田中 それが難しいんですよね。

堀内 全体の価値観が変わらないと、なかなか変わらないのではないかという気がします。いいものには価値を与えるというのがありますね。何でルイ・ヴィトンを、みんなはあんなべらぼうなお金を出して買うのか。それは価値があると思っているからなんですよ、たとえが悪いかもしれませんが。協同労働の事業体では、長時間働かなければ成り立っていかないというのは、やっぱりひとつの問題として、報酬が低いというのがありますね。

 介護の領域は、介護保険があるのでその枠組みの中でやっていけると思うのですが、それ以外の業種は市場で競争しないといけないので、大変ですね。協同労働でやれる領域というのはあるのでしょうか。

田中 日本では、企業が入り込んでいない領域というのはないですね。イタリアでは、ある程度住み分けがあって、協同労働の事業が独自のやり方で成り立っていく領域があるのですが。イタリアでは、企業の未成熟ということもあるのだと思いますが、日本ではそんなことは言っていられない状況なので、杉村さんが企画・編集された『入札改革』(武藤博己著・岩波新書)にあるように、自治体が、環境、男女平等、公正労働基準への配慮など社会的価値のあるものに対してちゃんと相応のものを払うような入札制度に変えていくように、どういう評価項目にするかを含めて、協同組合や非営利事業の労働の側から提起していくことが、ひとつの方向としてあるのではないでしょうか。

堀内 そうですね。日本の公共政策のあり方も関係しているのでしょうね。「公正労働基準」というのをとってみても、なかなか公共政策がモデルを示すという例が、日本では少ないんですよ。あと、消費者教育といいますか、サービスや商品の買い手たちの教育というのはどんなものでしょうか。商品やサービスを、適正な価格で買う、というような。

杉村 今、開発途上国からの商品を買うときに、「フェアトレード」ということが言われますね。途上国の人たちが生活を維持できるように配慮して、適正な価格をつけている商品が売られています。

堀内 「企業の社会的責任」というのも注目されていて、環境保全や適正な賃金・労働条件の確保など、社会的な責任を果たしている企業に投資するという「社会的責任投資」なども広がってきています。投資だけでなく、もっといろいろな面で社会的な価値のあるものに対して評価を与える仕組みが必要です。入札制度は、確かにそのひとつですね。

◆労働の原点を取り戻す

杉村 企業における労働も、労働というのは本来、協同労働だと思うのです。でも、労働をそういうふうに実感できない現状がある。特に能力主義が職場に導入される中で、働く人たちはますますバラバラにされ、お互いに競争させられています。そういう中で、「 労働とは何か」 を問い直すこと、労働とは協同の営みなんだということを実感できるような職場にしていくことは、企業の中でこそ必要なのではないかと思います。協同労働というと、ワーカーズコープをつくればいいというのではなくて、企業の中でも労働組合が、労働条件の改善だけでなく、「労働とは何か」を問いかけるような取り組みをしていかなければならないのではないでしょうか。そうしなければ、ますますバラバラにされていくような気がします。

堀内 「効率」と「公正」が常にせめぎ合っている状況の中で、ILOの基本的精神である「労働は商品ではない」という原点に立ち返る必要がありますね。現代のグローバル化の最大の問題は、グローバル競争が価格競争になってしまっているという点です。その結果、働いている人の賃金や労働条件にしわ寄せがきています。やはり、働いているのは血も涙もある人間なんだということを中心に据えて、そこからこの状況をどうやって超えていくかを考えていかないといけませんね。

◆無償労働の行方――「賃労働化」か「社会化」か

杉村 田中さんに質問したいことがあるのですが、「農村の女性たちの仕事起こし」のところで、農村女性の無償労働に替わる取り組みとして、「 市場化」 ではなく「 社会化」 することが求められる、と書かれていますが、「社会化」とはどういうイメージなのか、少し説明していただけますか。

田中 さっきの保育の話でいいますと、子育てというものを自分たちの手元に置きながら仕事としても成立させていくためには、自分で担っていくという部分をどこかに残しておかないといけない。そうでないとどんどん自分が消費者化していきますよね。完全に消費者化しないで、つくることにも関与しながら消費していくということだと思います。一般には消費と労働という二つのジャンルがありますが、「担う」というのは、どうしてもボランタリーな側面を持ちます。これは否定しようがない。これまではそれを女性だけが担ってきたわけですけれども、そこに男性にも参加をしてもらいながら、共に担っていくことを「社会化」というふうに言っています。

 これは、インフォーマル経済をどういうふうにとらえるかということと関連します。女性が担ってきた家事、教育、介護、あるいは地域を支える共同仕事など、広範な「 アンペイドワーク」 が存在するわけですが、これらを全てまるごと市場経済に投げ出してしまうのではなくて、自分たちの手元に引き寄せながら(=コントロールしながら)光を当てていく(=社会的評価と経済的対価を認めていく)というか、そういう概念が「社会化」だと思うんです。

堀内 労働運動の側からいうと、インフォーマル経済というのはフォーマルな形に移行する一過程だと捉えられていますが、今田中さんがおっしゃったような「社会化」というか、いい形でつくりあげるのもいいのではないかと思いますね。賃労働化というのは、労使関係のもとに置くわけですから、企業になるわけですよね。全部が全部、企業化するのがいいことではないと思います。

 インフォーマル経済は、先ほどから何回も言っている言葉ですけれども、まさに人々のエンパワーメントを通して、きちんとした働き方ができるような形にすることが基本ではないかと思っています。

 ただし、形としてフォーマル化をめざすというのであれば、企業もともかく、協同組合も適切な形といえるのではないかと思います。ディーセントワークが確保できる仕事のしかたの一形態として、ILOも、協同組合を位置づけています。

◆人間らしい働き方を支えるシステムとは

杉村 協同組合は、仕事を起こすということと、人間らしい働き方を追求することの二つを課題として立ち上げるわけですが、それが存続できるよう支えるシステムができないものかと思うのですが。

堀内 日本では、人間らしい働き方の形を追求する協同組合というのが、広がってほしいですね。そこで働く人の数は企業で働く人の数ほど多くはならないでしょうが、数の問題ではないと思うのです。人々がそうした協同組合で働くことを通して、自分の成長と地域社会とのつながりを見いだしていくというのは、ほんとうに大切なことです。価値観とか、理念とか、そういう問題は、日本人が苦手とするところなのですが。

田中 協同労働の協同組合が質的に深まっていったとして、それが企業社会とは関係のないところで成立するものなのか、企業社会に相当影響を与える存在になるのか、そこらへんは、どういうようにごらんになっていらっしゃいますか。もちろん私たちは、自分たちが生き延びるだけではなく、企業や市場のあり方に変更をせまっていくことができるよう願っているんですけれども。この本も、協同組合というと、限られた空間、閉じた空間の物語というふうに見られがちなので、私たちの問題意識は、企業で働く人々や、協同組合以外の非営利・協同部門で働く人々とも多くの接点を持つものであるだということを意識して書き進めてきました。外側というか、企業社会に対してきちんと投げ返せる何かがほしかったのですが、正直言ってそれが表現できているかどうか心もとありませんが……。

堀内 先ほど田中さんが、企業が入ってくるようなマーケットではなかなか競争できない。でも、日本では企業が入っていない領域はない、とおっしゃいましたよね。そうすると、日本においては、協同労働の価値というものを認識する、その価値が認識されたときに企業社会に影響力を持てるようになるのではないでしょうか。隙間産業をやったらいい、という問題ではないと思いますね。

杉村 そうですね。

堀内 おそらく、地域のニーズや個々人のニーズに合わせた、地域に密着した仕事で、単なる市場価値だけではなくて、何らかの公共的な価値のあるものを生み出す、ということではないかと思うのですが。

杉村 そこに、政策入札――価格だけでなく、その他の社会的価値を入札の評価項目にしていく入札制度のことですが――が導入されていけば、協同組合が成り立っていく基盤ができますよね。きちんと運営できるようになっていけば、そこからまた広がっていくというのはあるかもしれませんね。

◆協同組合やNPOが制度設計に参加できる場を

田中 NPOも協同組合もそうですけれども、自治体の直営サービスの委託先として期待されるという、民営化の流れの中で都合のいい使われ方をしている側面があるように思います。非営利の側も自治体が仕事をくれるというと、それを肯定的に考えてしまう傾向があるんですね。もう一歩さかのぼって、ほんとうにその仕事は公務労働による直営ではなく委託する意味があるのかというのを、非営利・協同の陣営自身が考えないといけないと思うのですが。理想を言えば、NPOも協同組合も、受託・委託というのを一回離れて、そのサービスがどういう内容で行われるべきか。その内容を実現するには、どんな担い手構成が望ましいかを、自治体も一緒になって検討する、というプロセスが必要だと思います。受託するかどうかはその次の段階なのですが、実際には、その前の段階を抜いたところで仕事のやりとりが行われています。

杉村 アスランの場合は、民間の出版社から仕事を受注するという関係ですが、仕事の料金はどんどん安くなり、納期はタイトになってきているなかで、少々不満があってもその仕事を受けないと成り立っていかない、というジレンマを抱えています。ですから、アスランという一事業所だけが頑張っても限界があるので、同じような立場にある人たちと手を結んで、最低請負料金みたいなものを設定できないかと、考えているところです。そういう人たちが今はバラバラですけれども、まとまってひとつの声をあげれば、変えていけるものもあるのではないかと思っています。

 行政とか、法律とか制度とかが変わるのを待つのではなく、こういうことが不足しているとか、こういうふうにするとよくなるとか、現場の実例を出しながら問題提起をしていくことで、行政やもっと広い意味での社会を動かしていくことができるのではないでしょうか。またそれもひとつのエンパワーメントというか、自分たちで変えていけるんだ、ということになると、どんどん変えようという人たちが生まれてくるかもしれないと思うんですよね。

(2004年2月24日国連大学ビル4階会議室にて)

―アスラン会報12号より